ミャンマー行きます
突然、5日間ほどミャンマーに行くことになった。
夏のタイ出張で一緒だった方に誘われたのだ。
この人は、タイ出張中、ホテルロビーでネット(言わばロビー活動w)に
ハマっていた人で
(詳しくは8月22日更新「スマートフォンの買い時」を読んでね♪)、
タイ出張時の力量を買われて(?)、ミャンマー出張の助っ人を頼まれたのだ。
ロビイスト嬢の仕事の中心は、シンガポールで、なんと今回彼女は、
半月かけて日本→シンガポール→ミャンマー→インドネシア→シンガポール→日本
をいう出張ツアーを強行するとのこと。 すごいタフだ・・・((((;゚Д゚)))!
で、そのうちのミャンマー日程だけご一緒させていただくことにした。
ミャンマーに行くのは、今回で2度目。
1回目は、1996年。
タイに住んでいる時で、ミャンマーのASEAN加盟記念かなにかで、
"Visit Myanmar Year"と旅行客招致のけっこう大きなキャンペーン真っ最中だった。
当時はまだ愚息もこの世に存在していなかったので、日本から母を呼び寄せて、
夫、母、私の3人でバンコクからのツアーに参加した。
で、ミャンマーに着いてみてびっくりしたのだが、
"Visit Myanmar Year"というからには、どんだけ外国人もてなす準備ができているのかというと、
これが、
まあ、
のっけから、
やる気あんの??
という状況で、
まず、入国するのにものすご〜く時間がかかってしまったのだ。
なぜ時間がかかるかというと、大量に外国人観光客が到着しているというのに、
入国審査の窓口はわずかして開いておらず、
しかも見るからに慣れていない、というか非能率(別の言い方をすると「ヤル気なし」)。
なかでも一番やる気のなさげな列に並んでしまった私は、いつまでも立っても動かない列に業を煮やし、しかも、ようやく次が自分の番、というときに、目の前でピシャリと窓を閉められてしまった・・。
あれやこれやでようやく入国してみると、
初めて見るミャンマーの町並みや遺跡群、はそれなりにめずらしく、美しく感じた。
ホテルはさすがにきれいで、プールもあったりして結構快適に過ごせそうだったのだが、
ヤンゴン→バガン→マンダレーと移動していくうちに、あることに気づいた。
それは、
移動に異様に時間がかかる
ということなのだ。
別に空港が遠く離れたところにあるワケではないのに。
つまり、
どういう事かというと、
例えばヤンゴン昼12時発、バガン行きの飛行機に乗るとすると、
朝5時起床
↓
朝6時ホテルチェックアウト
↓
朝6時半空港着
そのままお昼の搭乗まで待機
というように、飛行機搭乗のエライ前から空港でスタンバっていなければならない。
なので、当初は「余裕のある旅程で楽だわぁ」などと気楽に考えていたのだが、
実際は快適なホテルをエンジョイする時間もなく、
超早起きのキツイスケジュールとなってしまった。
ガイドさんの説明によると、
「飛行機の搭乗時刻なんてアテにならない。しょっちゅう変更になる。」からなのだそうだ。
しかし、出発が遅れる、というのは聞いたことがあるけれど、
数時間も早まる、なんてことがあるのか??
ちょっとにわかには信じられない話だったのだが、
ガイドさん曰く、急用のある政府のVIPやその家族が搭乗する場合は、
むっちゃ早まることもあるのだそうだ。
というわけで、3泊4日ミャンマーツアー、かなりの時間を空港で費やすことになったのだ。
で、実際のところ、どうだったのかというと、
フライト時刻がものすごく早くなる、ということはなかった。
ただマンダレーからヤンゴンに帰る便が、いつまでも立っても飛び立たず、
途中で、搭乗予定のVIPの親族の到着を待っているらしい、ということが分かった。
このことか・・・とそのとき思ったけど、
SPらしき男性に囲まれながら先に搭乗した美人の中年女性(たぶん政府高官の奥方か)、
夫と目があったとき、すまなそうに目礼したのだそうだ。
なので夫は「何か事情があったんだろう。しょうがないやん〜」といまだにものすごく好意的にあのときを振り返るのだ。
このミャンマーツアー、
飛行機騒動の他にもう一つ困ったことがあって、
当時、ミャンマーに入国する際は、外国人はみな強制的に300米ドルをミャンマーの通貨チャット(Kyat)に両替しなければならないという決まりがあった。それで、我々3人もそれぞれ300ドルずつ計900ドル両替したのだが、結果としてものすごい量のチャットを抱えてあるくハメになってしまった。で、実際に買い物をしようとすると、物価がむちゃくちゃ安いので、なかなかチャットがなくならない。しかも、私は途中で変なスイッチが入ってしまい、なぜかチャットをフクロウ人形の大量買いにつぎ込むことに。5個10チャットみたいな爆安値段なので、店屋のフクロウ、全棚大人買い、みたいな状況になぜか爽快感を覚えてしまったのだ。しかし、若気の至りとはいえ、なんであんなにフクロウを買ってしまったのだろう・・・。我ながらいまだに不思議である。今、あのときのフクロウの大部分は段ボールに詰め込まれて物置で静かに眠っている。
結局、大量に余ったチャットはルビーのペンダントヘッド、布、そしてガイドさんへのチップに化けた。まあ、ガイドさんに喜ばれたことは良しとしよう。
というわけで、最初のミャンマーツアーは、
一所懸命日本語で説明してくれたガイドさんにはたいへんたいへん申し訳ないのだが、
観光遺跡についての記憶はもはやおぼろで、
しんどかった記憶だけが、いまだに鮮やかに残っている。
在日ミャンマー人の友人に聞いたところ、
飛行機会社も民間の参入で増えているし、
300米ドルの強制両替制度もなくなり、
10年前に比べると、ずいぶん旅行客カインドリーなシステムになってきているとのこと。
期待がもてそうだ。
というわけで、来週、ミャンマー行ってきま〜す!
私がハマった(?)ミャンマー・フクロウ人形 いろいろなサイズ・素材・デザインあり。集め出すと結構奥が深い民芸品である。
夏のタイ出張で一緒だった方に誘われたのだ。
この人は、タイ出張中、ホテルロビーでネット(言わばロビー活動w)に
ハマっていた人で
(詳しくは8月22日更新「スマートフォンの買い時」を読んでね♪)、
タイ出張時の力量を買われて(?)、ミャンマー出張の助っ人を頼まれたのだ。
ロビイスト嬢の仕事の中心は、シンガポールで、なんと今回彼女は、
半月かけて日本→シンガポール→ミャンマー→インドネシア→シンガポール→日本
をいう出張ツアーを強行するとのこと。 すごいタフだ・・・((((;゚Д゚)))!
で、そのうちのミャンマー日程だけご一緒させていただくことにした。
ミャンマーに行くのは、今回で2度目。
1回目は、1996年。
タイに住んでいる時で、ミャンマーのASEAN加盟記念かなにかで、
"Visit Myanmar Year"と旅行客招致のけっこう大きなキャンペーン真っ最中だった。
当時はまだ愚息もこの世に存在していなかったので、日本から母を呼び寄せて、
夫、母、私の3人でバンコクからのツアーに参加した。
で、ミャンマーに着いてみてびっくりしたのだが、
"Visit Myanmar Year"というからには、どんだけ外国人もてなす準備ができているのかというと、
これが、
まあ、
のっけから、
やる気あんの??
という状況で、
まず、入国するのにものすご〜く時間がかかってしまったのだ。
なぜ時間がかかるかというと、大量に外国人観光客が到着しているというのに、
入国審査の窓口はわずかして開いておらず、
しかも見るからに慣れていない、というか非能率(別の言い方をすると「ヤル気なし」)。
なかでも一番やる気のなさげな列に並んでしまった私は、いつまでも立っても動かない列に業を煮やし、しかも、ようやく次が自分の番、というときに、目の前でピシャリと窓を閉められてしまった・・。
あれやこれやでようやく入国してみると、
初めて見るミャンマーの町並みや遺跡群、はそれなりにめずらしく、美しく感じた。
ホテルはさすがにきれいで、プールもあったりして結構快適に過ごせそうだったのだが、
ヤンゴン→バガン→マンダレーと移動していくうちに、あることに気づいた。
それは、
移動に異様に時間がかかる
ということなのだ。
別に空港が遠く離れたところにあるワケではないのに。
つまり、
どういう事かというと、
例えばヤンゴン昼12時発、バガン行きの飛行機に乗るとすると、
朝5時起床
↓
朝6時ホテルチェックアウト
↓
朝6時半空港着
そのままお昼の搭乗まで待機
というように、飛行機搭乗のエライ前から空港でスタンバっていなければならない。
なので、当初は「余裕のある旅程で楽だわぁ」などと気楽に考えていたのだが、
実際は快適なホテルをエンジョイする時間もなく、
超早起きのキツイスケジュールとなってしまった。
ガイドさんの説明によると、
「飛行機の搭乗時刻なんてアテにならない。しょっちゅう変更になる。」からなのだそうだ。
しかし、出発が遅れる、というのは聞いたことがあるけれど、
数時間も早まる、なんてことがあるのか??
ちょっとにわかには信じられない話だったのだが、
ガイドさん曰く、急用のある政府のVIPやその家族が搭乗する場合は、
むっちゃ早まることもあるのだそうだ。
というわけで、3泊4日ミャンマーツアー、かなりの時間を空港で費やすことになったのだ。
で、実際のところ、どうだったのかというと、
フライト時刻がものすごく早くなる、ということはなかった。
ただマンダレーからヤンゴンに帰る便が、いつまでも立っても飛び立たず、
途中で、搭乗予定のVIPの親族の到着を待っているらしい、ということが分かった。
このことか・・・とそのとき思ったけど、
SPらしき男性に囲まれながら先に搭乗した美人の中年女性(たぶん政府高官の奥方か)、
夫と目があったとき、すまなそうに目礼したのだそうだ。
なので夫は「何か事情があったんだろう。しょうがないやん〜」といまだにものすごく好意的にあのときを振り返るのだ。
このミャンマーツアー、
飛行機騒動の他にもう一つ困ったことがあって、
当時、ミャンマーに入国する際は、外国人はみな強制的に300米ドルをミャンマーの通貨チャット(Kyat)に両替しなければならないという決まりがあった。それで、我々3人もそれぞれ300ドルずつ計900ドル両替したのだが、結果としてものすごい量のチャットを抱えてあるくハメになってしまった。で、実際に買い物をしようとすると、物価がむちゃくちゃ安いので、なかなかチャットがなくならない。しかも、私は途中で変なスイッチが入ってしまい、なぜかチャットをフクロウ人形の大量買いにつぎ込むことに。5個10チャットみたいな爆安値段なので、店屋のフクロウ、全棚大人買い、みたいな状況になぜか爽快感を覚えてしまったのだ。しかし、若気の至りとはいえ、なんであんなにフクロウを買ってしまったのだろう・・・。我ながらいまだに不思議である。今、あのときのフクロウの大部分は段ボールに詰め込まれて物置で静かに眠っている。
結局、大量に余ったチャットはルビーのペンダントヘッド、布、そしてガイドさんへのチップに化けた。まあ、ガイドさんに喜ばれたことは良しとしよう。
というわけで、最初のミャンマーツアーは、
一所懸命日本語で説明してくれたガイドさんにはたいへんたいへん申し訳ないのだが、
観光遺跡についての記憶はもはやおぼろで、
しんどかった記憶だけが、いまだに鮮やかに残っている。
在日ミャンマー人の友人に聞いたところ、
飛行機会社も民間の参入で増えているし、
300米ドルの強制両替制度もなくなり、
10年前に比べると、ずいぶん旅行客カインドリーなシステムになってきているとのこと。
期待がもてそうだ。
というわけで、来週、ミャンマー行ってきま〜す!
私がハマった(?)ミャンマー・フクロウ人形 いろいろなサイズ・素材・デザインあり。集め出すと結構奥が深い民芸品である。
by yamato1724
| 2007-09-03 19:34
| 旅
段々いよいよ益々不定期更新になってきましたが頑張ります
by yamato1724
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